ブログ!(徒然日記)
店を増やしたくて、増やしたわけではない
店を増やしたくて、増やしたわけではない
「何店舗やってるんですか」と聞かれることがあります。
五つです、と答えると、たいてい「すごいですね」と言われます。拡大していますね、と。
でも、正直に言うと、増やしたくて増やしたわけではありません。
二十四年やってきて、後から振り返ってようやく分かったのですが、私の場合は事業計画が先にあったことが一度もない。人がいて、事情があって、その最適解を考えたときに、結果として店ができていた。順番がずっと逆でした。
五つの店には、五つとも違う理由があります。今日はそれを、正直に並べてみます。
一軒目 ── 飲食をやるつもりは、なかった
私は寿司と和食の店の長男として生まれました。実家は今も戸出で寿司屋をやっています。
それなのに、自分が飲食店をやるつもりは一切ありませんでした。
始まりは、一緒になると決めた人が、お菓子とパンの職人だったことです。作る人がいた。親は親で「そろそろ人生のターニングポイントだろう」と勝手に捉えていて、私自身も確かにそういう時期でした。
いくつかの現実が同じ一点で重なった。それが一軒目です。
市場調査をしたわけでも、勝算があったわけでもありません。作れる人がいたから、店ができた。 それだけです。
二軒目 ── 厨房が、狭かった
一軒目が地元になじんだ頃、お菓子を作りたいというスタッフが増えてきました。
ところが、寿司屋の中の菓子厨房は小さすぎたのです。いい仕事をするにも、人を育てるにも、あの場所では限界がありました。
だから砺波に出ました。生菓子とケーキ、焼きたてのパン、焼き菓子、自家焙煎のコーヒー、ギフト。当時はまだ珍しい複合型の店でした。
自家焙煎を始めたのも、この店からです。それまでは業者さんから豆を仕入れていました。
なぜ自分で焼くようになったのか。理由ははっきりしています。妻が作るお菓子とパンに、いちばん合うコーヒーを焼きたかったからです。
一軒目ができた理由と、同じ人です。作る人がいたから店ができて、その人が作るものに合わせて、私は豆を焼き始めた。今はそこにスタッフやパティシエが加わって、彼らが作るものに合わせて焼いています。
コーヒーが主役だと思ったことは、実は一度もありません。焙煎士としての私の出発点は、縁の下の力持ちでした。今もそこは変わっていません。
二軒目も、人が先です。作りたい人がいて、その人が働ける場所が足りなかった。だから店ができた。
三軒目 ── 呼ばれて、出しました
十二年前、南砺市福野のアミューショッピングセンターの中に出しました。
これは自分から出した店ではありません。当時の事務局長さんから声をかけていただいたのです。
アミューは、もともと街の商店主のみなさんが持ち株を出し合って株式会社を作り、その原資で建てた商業施設でした。全国でショッピングセンターが次々にできていた時代の話です。街の人たちが、自分たちのお金で変化に賭けた器だった。
それから三十年近くが経ち、商店主の高齢化と後継者不在が進んでいました。決定的だったのは、ハウスカードの会員のうち、六十五歳以上が七十五パーセントを占めていたことです。
売上はまだ立っている。でも、五年後、十年後はどうなるか。
答えは単純でした。若い家族、若い女性、子ども、働く男性が来ない店は、それすなわち崖っぷちだと。
だから「あなたたちのような若い人にリーチできるカフェを誘致したい」というお話でした。私は商品ではなく、客層を期待されて呼ばれたわけです。
衰退は、売上が落ちてから始まるのではありません。客層が高齢化した時点で、もう始まっている。 あの話し合いで、私はそれを教わりました。
人口五万人を切る市です。既存店から車で十五分。立地の教科書からすれば、選ぶ理由はありません。
それでも受けました。理由は、その頃すでに大都市や交通量の多い場所での出店に、魅力を感じなくなっていたからです。
これは自慢話になってしまいますが、私はこの二十四年間、初詣で商売繁盛を願ったことが一度もありません。繁盛したくないのではなく、大きな波やうねりを求めていないからです。凪がいいわけでもない。毎日の地道な人通りと、お互いの波長が合うリズム。それをずっと作りたかった。
南砺は、そのリズムに近い街に思えました。
そして、この店を出して数年後、私は南砺の山の近くに古い家を買いました。当時三十代半ばで、終の住処を探して空き家を百件近く見ていた時期です。田んぼと畑と庭があって、子育てができて、自分たちの生活のリズムが作れる場所でした。
昭和の匂いと人の温かさに呼ばれたな、という感覚があります。別にスピリチュアルな話をしたいわけではありません。ただ私は昔から、その場の空気や目に見えないものを受け取る体質で、あのときそれを感じました。それは正解だったと今も確信しています。
店に呼ばれて、住民になった。順番としては、そういうことになります。
十数年経った今、この南砺の店が、五店舗でいちばんの繁盛店です。十年以上、毎年、無理なく売上を伸ばしてきました。
喫茶店で生き残るのは、本当に大変です。コーヒー一杯五百円、六百円の世界で、百杯売っても五、六万円。一店舗あたり常時二、三人のスタッフを抱えて、ほとんど休みなく回す。そのお金を毎日捻出することが、事業者としての私の使命です。
それを、値上げで無理やり作ったわけではありません。お客様が特別感や付加価値を求めて来てくださって、その中で単価が上がり、客数は落ちていない。値段を上げたのではなく、来る理由を作った。 そういう十二年でした。
四軒目 ── 自分の店ではない店
五年前、高岡大仏の横に amida coffee を出しました。
この店だけ、屋号が違います。理由は、これが私の会社の店ではないからです。
この三十年、四十年で、日本中の街が薄くなっていきました。シャッター街というニュースは全国どこでも同じ形で起きています。大きなものにお金も人も集約されて、その近くでは空洞化が進み、そこで働く人の手取りまで減っていく。
今なら私も構造的に説明できます。でも当時は、まったく理解できていませんでした。私も分かっていなかった側の人間です。
高岡でも、この街のにぎわいをどう取り戻すかという集まりや講座がいくつもありました。そこで出会った仲間と、まちづくり会社を作りました。その会社で立ち上げたのが、amida coffee です。
大仏さんの歴史に詳しい方から聞いた話が、ずっと心に残っています。
もともと大仏様は、崇拝と祈りの対象でした。けれども時代が変わって、今の阿弥陀如来様は観光の象徴として、人をこの街に呼び、その周りで商いを成り立たせ、街を潤わせるための化身のような立ち位置におられる、と。
大仏様ご自身が、役割を変えて生き残ってこられた。
私たちが十数年前から、あの場所をそういう場所にしたいと動いてきたことが、五年前にようやく形になりました。
五軒目 ── はじめて、自分から
そして富山市の総曲輪です。
これは五つの中で唯一、自分の意思で打った店です。
きっかけはいくつも重なりました。コーヒーマイスターが手がけたコーヒーロールがテレビで取り上げられ、一晩でオンラインショップに三千件の注文が入り、インスタグラムのフォロワーが千人以上増えました。携帯が焼けるかと思うほど通知が止まりませんでした。その波も一、二年で落ち着きましたが、今度は富山市がニューヨーク・タイムズの「行くべき街」に選ばれました。もともと富山空港や新幹線のお土産店に卸をしていたこともあります。
条件が揃ってしまった。そして、そこに若いスタッフのやる気と思いがありました。
正直に言えば、これが望んだ形なのかどうかは自分でも分かりません。インバウンドも円安もテレビも、私が起こした波ではないからです。うねりを求めないと言ってきた人間が、今いちばん大きなうねりの上にいる。 その矛盾は隠さないでおきます。
それでも出したのは、危機感です。人生は短い。ここで一つ挑戦を打たなければ、あとは老いる一方だと思いました。
五つの理由
並べてみると、五つとも違います。
一軒目は、作れる人がいたから。 二軒目は、作りたい人が増えて、厨房が狭かったから。 三軒目は、街に呼ばれたから。 四軒目は、自分の店ではなく、街の店として。 五軒目は、自分の危機感から。
拡大戦略という言葉が当てはまるのは、五軒目だけです。
これから店を始めたい方に、私が言えることがあるとすれば、それは「計画から始まらなくてもいい」ということです。事業計画書に書けるようなきれいな理由から始まった店は、私には一つもありません。
ただし、これは裏返すと厳しい話でもあります。人から始まった店は、人がいなくなれば形を変えるしかない。実際、私たちも一度そうしました。
パンと生菓子を、やめたのです。
次回は、その話を書きます。増やした話ではなく、手放した話です。二十四年で私が学んだことの、たぶん半分はそちらにあります。
はじめまして!珈琲焙煎士&カフェ経営者の渡邉功一です!
はじめまして19HITOYASUMI&amidacoffee代表の渡邉功一です!こちらのブログでは、日々のたわいもない私の日常をお伝えさせていただきます!
今回のテーマはこちらです。# 「3年で半分が潰れる」の出典を探して、24年目にしてわかったこと、
「カフェなんて、3年で半分は潰れるよ」
独立を考えていると、必ず誰かに言われます。私も24年前、そう言われました。言ったのは、悪意のある人ではありません。心配してくれていた人です。
でも先日、ふと気になって調べてみました。この「3年で半分」という数字、いったいどこから来たんだろう、と。
結論から言います。**出典が、どこにもありませんでした。**
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## 数字が、書いている人によって全部違う
まず驚いたのは、数字そのものがバラバラだということです。
飲食店の廃業率を扱うサイトをいくつも見ていくと、「10年生存率は5%」と書いてあるところがあり、別のところでは「8〜10%」、また別のところでは「10年存続率は3割未満」となっている。3年についても「5割」「7割」と幅があります。
そして、そのほとんどが出典を示していない。示していても、リンク先はまた別の同じようなサイトです。
正直だなと思ったのは、ある業界メディアが自分でこう認めていたことです。生存率には様々な説があり、データを取った年代や、調査する団体、媒体、コンサルタントの意見によっても数字は変わる、と。
つまり、**みんなが引用し合っているだけで、大元が存在しない。**
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## では、公的な数字は何と言っているのか
国が出しているデータもあります。
2017年版の中小企業白書には、帝国データバンクのデータベースをもとにした企業生存率が載っています。起業から1年後が95.3%、3年後が88.1%、5年後が81.7%。
「3年で半分」どころか、3年後も9割近くが生き残っている。欧米と比べても日本の数字は高い、とされています。
……と、ここで終わらせたい気持ちはあります。「ほら、噂は嘘だった」と。
でも、それをやったら、私は噂を広めている人たちと同じことをすることになります。
この白書には、注釈がついています。**この生存率はデータベースに情報が収録されている企業だけを集計したもので、収録までに時間がかかるため、実際の生存率より高めに算出されている可能性がある**、と。国が自分で断っているのです。
さらに、この対象は基本的に法人です。個人事業主は網羅されていません。カフェを開く人の多くは、まず個人事業主です。
そして決定的なのは、同じ中小企業庁が別の白書で、こう書いていることです。**開業率と廃業率がともに最も高く、事業所の入れ替わりが最も盛んな業種は「宿泊業、飲食サービス業」である**、と。
つまり、全業種平均の88%は、私たちの業界には当てはまらない。
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## 誰も、本当の数字を知らない
ここまで調べて、私がたどり着いた結論はこれです。
「3年で半分」には根拠がない。でも「3年後も88%」も、あなたの店の話ではない。
**カフェが何年でどれだけ残るのか、正確な数字は誰も持っていない。**
それが現実です。
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## では、なぜあの言葉は語り継がれるのか
根拠がないのに、なぜあれほど流通しているのか。いくつか理由が考えられます。
ひとつは、海外のデータとの混同です。欧米では5年後の生存率が40%台という数字があり、それが日本の話として輸入された可能性。
ひとつは、スタートアップの世界との混同。「10社に1社当たればいい」という前提で走る世界の話が、街の小さな商売と一緒くたに語られている。
ひとつは、体感の一般化。実際、飲食の入れ替わりは激しい。よく通っていた店が消えれば、印象は残ります。
そしてもうひとつ。ここからは、24年やってきた私の実感です。
**あの言葉は、「言う側」にとって都合がいいのです。**
「そんなに甘くないぞ」と言う人の中には、コンサルティングやセミナーを売りたい人がいます。不安を煽ることが、そのまま商売になる。
もっと言えば、**すでにその場所で商売をしている人にとって、新規参入は歓迎すべきものではありません。** 口には出しません。でも「大変だよ」「やめておいた方がいい」という言葉の奥に、自分の取り分を減らしたくない気持ちがまったく無いとは、私には言い切れません。
私自身、正直に言えば、そういう気持ちが自分の中に湧いたことがあります。近くに新しいカフェができると聞いたとき、一瞬、身構えた。あの感覚を知っているから、書いています。
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## 町活かし、町壊し、町育て
24年やってきて、まちづくりについて学んだことがあります。
新しいことを始めるとき、格好のいい部分だけではありません。**町を活かす部分があり、同時に、これまでのものを壊す部分があり、その先に、町を育てる部分がある。** この三つは分けられません。
そして、変化を最も嫌うのは、そこに長くいる人たちです。行政が旗を振っても、外から圧力がかかっても、それだけでは町は動かない。
動かすには三者が要る、と言われます。**若者と、馬鹿者と、よそ者。**
若さがあり、損得を計算しない者がいて、外の目を持った者がいる。この三つが揃ったときにだけ、新しい流れは生まれます。
これから店を開こうとしているあなたは、たぶんこの三つのどれかです。だから「大変だよ」と言われる。**言われるということは、あなたが変化の側にいる証拠です。**
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## 揃えることなかれ
私が言いたいことは、ひとつだけです。
**出所のわからない数字に、一度きりの人生を決めさせるな。**
良い大学を出て良い会社に入れば安泰、という前提はもう崩れました。それなら、自分がやりたいことをやる方が、よほど筋が通っています。
それがカフェなら、やればいい。全力でやって、楽しめばいい。
もちろん、簡単ではありません。私は24年で、たくさん失敗しました。原価も、立地も、人の使い方も、間違えました。今も間違えています。
でも消えていった店と続いた店の違いは、確率ではありませんでした。**数字ではなく、続けるための具体的な打ち手を持っていたかどうか**。それだけです。だから、そのやり方はこれから書いていきます。
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## 最後に
好きな言葉があります。
「早く行きたければ一人で行け。遠くへ行きたければみんなで行け」
一般にはアフリカのことわざとして知られていて、アル・ゴア氏がノーベル平和賞の演説で引用して広まったと言われています。
……ただ、正直に書きます。この言葉の出典を調べても、はっきりしませんでした。この記事で「出典のない言葉」を疑ってきた以上、ここだけ都合よく使うわけにはいきません。
出所は、わかりません。**それでも私は、この言葉は本当だと思っています。** 24年、一人では絶対にここまで来られなかったからです。
だから、これから富山でカフェをやりたい人、お菓子屋をやりたい人、コーヒーの仕事をしたい人へ。
一人で行かないでください。
私は競合が増えることより、この土地でおいしいコーヒーを出す店が増えることの方が、ずっと嬉しい。豆のことでも、数字のことでも、人のことでも、聞きたいことがあれば聞きに来てください。
遠くへ行きましょう。みんなで。
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*富山県西部で5店舗のカフェと自家焙煎を24年。Qグレーダーの焙煎士であり、経営者です。*
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### 参考
- 中小企業庁『2017年版 中小企業白書』第2部第1章 コラム2-1-2「起業後の企業生存率の国際比較」(資料:帝国データバンク「COSMOS2」)
- 中小企業庁『2023年版 中小企業白書』第2部第2節「起業・創業」
- 中小企業庁『2024年版 小規模企業白書』第2部第2節「新たな担い手の創出」








